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阿武隈の山の中で農の暮らしを始めて今春でちょうど5年が過ぎようとしています。
就農にあたっておもしろかった事、たいへんだった事など気の向くままに綴ってみました。
| ○学校 |
| 1995年3月下旬。(私・36歳。妻・30歳。長男・小3終了。長女・幼稚園終了。次男・3歳) 女房の田舎での生活を決意した私は、学校、教育委員会を通じて新しい小学校「片貝小学校」に転入の旨、電話を入れた。 電話口に出た校長先生は「ありがとうございます。これでやっと新1年生が4人になりました。みなさんがおいでになるのを楽しみに待っています。」 私は少し聞くのが怖かったが思い切って切り出した。 「ところで新1年生の他の3人の子は、男の子ですか?女の子ですか?」 返ってきた答えに愕然とした。「3人とも男の子です。」 友達と遊べるようになってから幼稚園まで女の子としか遊んだ事のない長女がこの中に入ってやっていけるのだろうか? あぁ、聞かなければ良かった、蓋を開けてしまえば度胸は決まるのだが、蓋を開ける前なので不安ばかりが先に立つ。 |
| ○電話 |
| 1995年4月。 上の子二人は、毎日元気に学校に通っている。按ずるより生むが易しでどうやら学校がおもしろいらしい。 私がここに溶け込むのと子供達が学校になれるのとではどうやら子供達のほうが断然早いようだ。 慣れない畑仕事のため、朝はなかなか起きられない。 日曜日、6時を打つ時計が鳴った。さあ、起きなければと思ったと同時に電話がなった。 「こんな時間に何事かあったのか」と女房と顔を見合す。 恐る恐る受話器を取ると「郁生君、いますか?」とのこと。小学校3年の郁生の同級生からの電話だ。 郁生はまだ布団の中でスヤスヤ寝ている。「ごめんね、まだ寝てるんだよ。」と言って電話を切った。」 後から聞いた話。 この辺りでは、5時だろうが6時だろうが陽が昇っていれば電話をかけても問題ないらしい。返って陽が昇っているのに布団の中にいるようでは笑われるとのこと。 そんな時間寝てるか起きてるかなんて誰が見てるのかな? |
| ○次男のヤケド |
| 1995年4月。 上の子二人は朝元気に学校に飛び出していく。残されたのは3歳になったばかりの次男坊だ。 ここにくれば小さな子供の顔が見れる、近くのおばあさん達はものめずらしさも手伝って毎日のように遊びに来る。 3歳の次男坊と遊びたいのだ。 何とか機嫌を取りたいのだが、ちょうど人見知りの一番激しい時である。 ちょっと「おいで」などと手を出そうものなら「おかあさん」と泣きながら女房の陰に隠れてしまう。 ある時、座っていたおばあさんと、置いてあった裸ストーブの間でよろけたらしい。間が悪かったのも手伝ったのだと思う。おばあさんのほうに手をつけば何のことはなかったのだが、裸ストーブの上に右、手の平をペッタリついてしまったのである。 この後はたいへんだった。 本人のヤケドは思ったほどではなかったのだが、まず、炭を使っていた掘りごたつ、これが電気に変わった。 裸ストーブは危ないと言って、ファンヒーターを2台も買わされた。 右利きかなと思っていた次男坊は使わなかった期間が長かったのか、今ではすっかり左利きである。 |
| ○福島県立農業短期大学校 |
| 1995年4月。 長男・長女、ふたりともこの地で一所懸命学校に通っている。 私も今日から新一年生だ。 ちょうどこの年、全国でも初めてのことらしい、福島県立農業短期大学校で、Iターン・Uターン・農家の子女で、初めて就農する人を対象に研修生を受け入れることになった。 私もこの話に飛びついた。 何と言っても自慢ではないが、土もいじったことがないのである。「肥料の3元素」など聞いたこともない。トマトをどう育てていいのかなども全く知らないのである。 この研修制度は町が中に入って町の推薦がないと入れない。要するに町からいくらかの補助が出ているのだと思う。とはいえ良い制度には違いない。 こうして研修生として入学した私は、一週間に一度の間隔で学校に通い始めた。15年ぶりに机に向かって勉強している。 何だかとてもウキウキしている自分と、百姓の現状がだんだん分かるにつれて本当にこれで食べていけるのか、と考える自分がいることに気づく。 元来、楽観性の私は、百姓で食べている人がたくさんいるのだから、食べられない事はないだろうと思うことにした。これがまた甘かったのだが・・・。 |
| ○弁当を持って遊びにくる子供達 |
| この片貝地区は広い。 広いとは面積が大きいということだ。 この広い中から子供達は学校に通ってくる。中には、4Kmも5Kmも毎日歩いてくる子供もいる。お父さんやお母さんが町へ働きにいく車に乗って通学する子供もいる。もちろんバスで通学する子供もいるのである。 休日、この子供達が遊びに来る時はみんなだいたい弁当を持参してくる。中には、カップめんを持って遊びに来て、お昼時、お湯だけ下さいという子もいる。 両親が仕事が終わる夕方までこうして遊んでいくことは珍しくない。 ただ平日はだいたいみんな夕方まで学校で遊ぶ。 ありがたい事に、先生が学校にいる時間は学校で遊ぶことができるのだ。 現在、全校児童数20名。授業参観で毎度のように先生がおっしゃる言葉がある。 「この学校で学級崩壊・非行などはまず起こりえません。ただ困ったことがひとつあります。それは教師と子供達との間があまりにも近すぎて、度が過ぎて怒ったり、悪い事をして叱ってもあまり効き目がない事です。」 これってとても贅沢な事なのかなと、先生がそうおっしゃる度に思う。 |
| ○町長との対談 |
| 1995年7月。 私がこの町で就農したことは、よっぽど珍しい事らしい。 今日は町長と対談があるとの事。 正直言って、あまり話の内容は覚えていない。ただひとつだけ頭に残ったことがある。 「この町は田舎である。都会で年間500万円かかるととすればこの町では350万円あれば生活できます。」 ふーん、350万円か、百姓でどれだけの金が取れるか分からない、加えてここの生活で最低どのぐらい必要なのか分からない私としては、当面の目標を350万円に決めた。 就農する前、知り合いの会計士が言ったことを思い出した。 「どんなに、ヨチヨチの赤ん坊でも、どんなに金のかからない年寄りでも、家族として生活する場合最低でも100万円は必要です。5人家族なら500万円、7人家族なら700万円が最低必要だと思ってください」 町長の数字が正しいのか会計士の数字が正しいのかまだ始めたばかりの私にはよく分からない。 |
| ○テレビ |
| 最近は、随分慣れてきたが、当初テレビがジージーいって見られないのには、困った。 山あいの中にぽつんと立つ一軒屋のため、アンテナを立てるためには電波を遮るもののない山の上に建てなければならない。 我が家の場合も例外ではなく、北側にある山の上にアンテナが立つ。 アンテナコードの総延長200m。 いくら山の上に建てたからと言って、回りにはそれ以上高い山がいくらでもあるのである。 加えて200mの長さを電波が通ってくる間にどうしても弱くなってしまう。 テレビサイドにはブースターを取り付けてあるのだが焼け石に水である。 ただ、ひとつだけ便利な事がある。 テレビの映りの良し悪しで天気が解るのである。天気が悪くなる前には必ず映りが悪くなるのである。最近は子供達も心得たもので「お父さん、明日は雨かもしれないね?」等とテレビを見ながら言うのだからおもしろい。 子供達も見えないテレビに観念したらしい。 |
| ○寝る時間 |
| これは笑われるかもしれないが、はっきりいって夜は早い。 農繁期は下の次男坊と一緒に遅くとも9時には寝てしまう。 下手をすると8時にはうとうとし始めそのまま布団に直行してしまうことも多々ある。 体は良く知っている、いくら機械化されたとはいえ、全く経験した事のない作業は結構体に効いているのである。 しかし気持ちは良い。 体を動かして太陽のもとで働く。腹が減ったら自分が作った物を「食う」。陽が沈みほんの一口の酒に酔って「寝る」。 というこの基本的なことがこんなに素敵な事なのか。 |
| ○母娘 |
| これは後から聞いた話。 女房と頑固ばあさんは、とてもよく似ている。 よく似ているとは顔が似ているということではない。 性格・仕事振りがとてもよくにているのだ。 女房がばあさんにこの仕事はどういうふうにやるの、と聞いたらしい。 ばあさんにこうやれと教えられた通りに女房は手を動かした。それを見ていたばあさんが一言。 「やまあらしみてえだなぁー。」 「やまあらしから生まれた娘が、お姫様になれるわけないでしょ。」 百姓仕事はひとりではできない。 ひとりでは一人分の仕事もできないのだ。 ところが二人になると、おもしろい事に3人分、4人分の仕事ができてしまう。 どんな仕事も同じかも知れない。 ただ、夫婦二人が基本の百姓の仕事は女房の力は計りしれない。 未だに、草むしりでは到底女房には敵わないのである。 |
| ○寄り合い |
| 町の集まり、地区の集まり、部落の集まり、組内の集まり、とにかく集まりと言う集まりには、全て顔を出した。 部落内はもとより地区内、町内でも、外から来たものが農業で飯を食おうという輩は初めてのことらしい。 最初は遠巻きにして目だけがこちらを伺っているのがよく分かる。 私もお世辞にも社交的とは言えずやはり目だけでこの人はどんな人なんだろうと、お互い溶け込むまでには時間が必要らしい。 特に困ったのは、「・・ちゃん」「・・君」とみんな下の名前で呼び合うのである。 自己紹介されたからといって相手は私の名前だけを覚えればよいが、私は紹介された全ての人の名前と顔を覚えなくてはならない。 加えて生まれて今までよっぽど親しくなければ下の名前で呼び合うような環境にはいなかった。 初めての人に回りの人と同じく「・・ちゃん」と呼びかけていいものかしばらく逡巡した。 このことも手伝って最初はなかなか話し掛ける事ができなかった。 何度か集まりに参加するうちにどうやら異端児である私にみんな興味があるらしい。私もいつまでも愛想笑いだけで対応するわけにもいかずそのうち一言、二言会話が成立するようになった。 この「片貝」の集落は全部で約70戸ほどである。 ほとんどが老人夫婦の世帯で、中には、おばあさんがひとりで暮らしている方が結構多い。 実際に百姓専業で生活している方は何人いるのだろう。 こんな質問をみんなにぶつけたことがある。 「ここで百姓だけで食べていけますか?」 返ってきた答えはご想像どおりである。 10人中9人までが百姓では食べられない、という。 「食えないからみんな町へ行った。こんにゃくが全盛の頃はよかったなぁ」 私もあまのじゃくである。 わざわざ田舎に越してきたのに、ここから町へ通って就職するつもりはサラサラない。 どこまでできるか分からないがやるだけやってみるか! |
| ○畑仕事・田んぼ |
| 1995年4月。 実は生まれてこのかた土をいじった事がないのである。 でもよくよく考えてみれば百姓のお嫁さんが全て百姓生まれとはいえないのだから、逆だと思えば別に取り立てて騒ぐ事ではないか。 初めて畑仕事をしたときには無償にうれしかった。 しかし困った。 農機具どころか鎌や鍬がつかえないのである。 傍から見れば同じように同じ動作で仕事をしているのだが、女房の母(頑固ばあちゃん)と比べるとどこかが違う。 力の入れ方が違うのである。 母はリズミカルに、たいして早いペースではないのだが確実に正確に仕事をこなして行く。 私といえば、力まかせにただ振り回しているだけでちっとも進まないのである。加えてあちこち痛くてへんなところの筋肉を使っているらしい。 改めて感じる見るとやるとは大違い。 1995年11月。 初めての田植え・田の草取り・稲刈り・ハサ掛け・脱穀と、新米を食べるまでにはそれなりの時間と愛情と労力が必要である。 この辺りでは高地のため「コシヒカリ」は作れない。 毎年「タカネミノリ」という品種を作る。 女房が初めて作った新米を炊いた。 子供達とみんなで食べた。 恥ずかしい話だが、ご飯を食べていて涙が出てくるのである。私の涙を見て隣に座っている女房も泣いている。 主食である米を作るということはこういうことなのか・・・。 |
| ○トラクター |
| 我が家にあるトラクターはほんの数馬力の小さなトラクターだ。 幅5.5mのハウスの中で使うにはちょうど良い。 ちょうど良いといってもそういえるまでには結構時間がかかった。 どちらかというと几帳面なほうで、うない始めると隅のほうにうない残しがあると気になってしょうがない。 ところが車の感覚でハウスぎりぎりまでうなってしまうと後ろのロータリーが邪魔をしてそこから抜け出せないのである。 何本ハウスのパイプを曲げた事か・・・。 |
| ○友人(魚か肉か) |
| 夏が来ると、必ず遊びに来る友達がたくさんいる。 最近は心得たもので、みんな作業着と長靴を持参してくる。 そう、トマトの作業を手伝いにきてくれるのだ。 多い時には、子供達も含めて20人もの連中が寝泊りしているのだからたいへんだ。 何が一番たいへんかというと食う事である。 洗濯である。 男はおとこでトマトの作業にいそしみ、女性軍は朝、昼、晩の飯つくりと洗濯。子供達は近くの川で遊んだり、カブトムシを捕まえに行ったりしている。 でもこれがなかなか楽しい。 頑固ばあさんなどは、「おばあちゃんのうどんが食べたいなぁ。」などとリクエストされるとそれはもう張りきってしまう。 友達の子供をつかまえて「一度に孫が10人もできたみたいだ。」と言ってとても喜んでいる。 彼らが来る時には途中から必ず電話が入る。 「晩飯は肉か魚か?」 ダンボールにいっぱいの買出した荷物と共にビールや酒も下ろされる。 呑み助は飲み分まで持参しなければならない。実は私が一番呑み助なのだが・・・。 |
| ○隙間風 |
| 我が家は建ててどのくらいになるのだろう? ここの爺さん(頑固ばあさんの亭主)がまだほんの2・3歳の頃だと言うから、もう70年は経つはずだ。 「東北の寒村」の、これはもう死語になってしまったと思うのだが、一百姓として立派にやってきたひとつの証だ。 だが如何せん昔の百姓屋の造りだ。 風がぴゅうぴゅう吹く寒い日などは床下から隙間風が入り込む。 標高はそれほど高くはないのだが日本のチベット(あちこちそう呼ばれる所があるらしい)と言う方もいるくらいだ。 厳寒期には家の中、台所にある雑巾が凍るどころか、金魚鉢の中の水が凍って金魚が仮死状態になっているのには驚いた。 北海道のように一日中、ストーブを焚いておく造りではなく、ましてや床暖房など異国の話だ。 ファンヒーターを起きる一時間前にセットして布団に入るのだが、起きて温度表示を見ると 0 を指したままだ。 ファンヒーターの現在温度の表示はマイナス表示は無いのである。 |
| ○お葬式・六尺 |
| 冠婚葬祭等の付き合いは、その地域に入ったなら避けては通れない。 加えてこの付き合いがその地域に溶け込む大きな助けになる。 「お葬式」は地域によってさまざまなやり方がある。 この片貝では「仏式」と「神式」と二通りのお葬式があるが葬式自体の流れはたいして変わりはない。 組内・隣組・区内でそれぞれ与えられる役割がある。 たとえば「六尺」。 この町ではまだ、町の条例で火葬にしなければいけない、という決まりはない。 ついこの間までそのまま土葬にする方が多かった。 このため、穴を掘ったり、遺体をお墓まで担いでいく人が必要となる。 これが「六尺」だ。 ただ「六尺」は既婚者で男でなければならないという決まりがある。 この辺りでは、結婚して始めて「人になった」と言われる。 いわゆる一人前になったと言う事なんだと思う。「六尺」は「人」でなければ勤め上げる事ができないと言う事だ。 前にも書いたが、おばあさんだけとかお年寄りだけで生活している方が多いためこんな時には結構重宝される。 これも地域に溶け込むには避けて通れないものだと思う。 |
| ○パイプハウス |
| 1997年4月。 自分の心の中がまだ固まっていないからなのか、それともまわりの人達が今だそう感じていたのかはよくわからないが、こちらに来てちょうど2年、2年も経つのにまだ回りの眼がよそよそしい。 若い連中がどんどん町へ行ってしまったり、たまに戻って来たといってもやはり、1・2年でみんな町へ戻っていってしまう。 「どうせあいつもそのうちいなくなるだろう。」と陰から聞こえてくる事もしばしばある。 そんな中で前山の空いた畑にハウスを建てることになった。 今ある、15aのハウスでは多く植え込んでも3.000本のトマトしか植える事ができない。 家族が何としても食べていくには最低30aのハウスが必要だ。 4月初旬、パイプハウスの資材が届いた。 遅くとも5月の初めまでには組み立てたい。 もちろん今までパイプハウスなど建てた事はない。 女房とふたり、日の出から日の入りまでトンチン、カンチン、ハウス作りに没頭した。 一棟、二棟と建てていくうちにこれがまた、おもしろくて楽しいのだ。 こういう表現が当たっているかは分からないがプラモデルを組み立てているような感じだ。 こうして5.5m×40mのハウス7棟が完成した。 私も実際とても驚いた。 このハウスを建ててから後、回りの人の眼が違うのだ。 今まで来た事もないお爺さんが、お茶を飲みに来たり、向こうから、とても親しげに声を掛けてくれたりと。 女房は今でもこう言う。 「回りの眼がそんなに変わったとは思わない。ハウスを建てたことによってお父さんの腹が決まったからじゃないの。」と・・・。 |
| ○持ち金 |
| 就農するまでのさまざまな問題は人それぞれみんなちがう。 ただ就農に踏み切ってからはほとんど全ての人が同じ道をたどらなければならない。 さて持ち金だがこれは誰が何と言おうと持ってないより持っていたほうが良い。 私の場合女房の実家に入ったということで、住むところも農地も農機具も一通りは揃っていた。 それでも最低限2年は生活できるだけの資金がなければ、怖くて踏み切れなかったと思う。 |
| ○おとうさん大すき |
| かたかいしょうがっこう1ねん はなしま あきお きょうは、がくしゅうはっぴょうかい。 いまとってもどきどきしています。 それは、ぼくの大すきなおとうさんが、がくしゅうはっぴょうかいをみにきているからです。 「ぼくのおとうさん。」 おとうさんのことをかいたさくぶんをよみおわって、おとうさんのかおをみると、にこっとわらっています。 ぼくのおとうさんは、しぜんが大すきで、くうきのおいしいかたかい(片貝)に、ちばけんからひっこししてきました。 はるは、トラクターで土をたがやします。 トマトのなえをうえるためです。 おとうさんは、 「トマトのおふとんをつくるんだよ。」 と、いっていました。 ほんとうに土は、ふかふかでトマトもきもちいいだろうなとおもいました。 なつは、トマトが大きくなります。 ちょっとあかくて、ちょっとでぶっちょのトマトが、はたけいっぱいにできます。 おとうさんは、トマトをえらんでとります。 トマトをもいだときにでるしるは、おとうさんの手をまっくろにします。 でもおとうさんは、へいきです。 まっかにじゅくしたトマトで手をあらうと、手がきれいになることをおとうさんがはっけんしたからです。 ぼくのおとうさんは、トマトのことならなんでもしってるトマトマンだとおもいました。 あきは、きのこをとりに山へいきます。 ぼくのいえの山は、あみたけやむらさきしめじやししたけがたくさんはえています。 「きのこの山だ。」 と、おとうさんがいっていました。 山からとってきたばかりのきのこは、はっぱや土がついていて、おいしそうにみえないけれども、とかいからきたおきゃくさんは、 「これがおいしいのよ。」 と、いってかっていきます。 おとうさんは、ときどき、ぼくとおにいちゃんとおねえちゃんを山へつれていってくれます。 あるくのは、つかれるけど、きのこをとるのは、とてもたのしいです。 またつれていってもらいたいなとおもいます。 もうすぐふゆがきます。 ぼくは、ふゆがすきときらいのりょうほうです。 ゆきがふると、そりもできるし、ゆきだるまもできます。 だけど、おとうさんは、いえにはいません。 あさはやく、 「いってきます。」 といって、おさけをつくりにこうじょうにいきます。 ぼくがいえにかえってもおとうさんがいないとさびしいです。 おとうさんは、おさけをつくっているけれど、ほんとうは、おさけより、ビールのほうがすきというひみつをしっています。 おとうさんは、きせつによってたくさんのしごとをしています。 ぼくも、おとうさんのように、トマトをつくったり、たくさんのしごとをしたいです。 |
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