○Nature calls
少し下世話な話になるが、野良仕事をしていて便意をもよおした時について書いてみたい。
おおむね「小さい」方の話である。
我々男は、ほとんど何の心配もない。
ところが女房はどうしているか、実に上手である。
この辺りは、畑仕事をしていて人に合うことはまずない。
どこに行ったのかなと思うと、軽トラックのドアを開けて他から見えないように上手にするのである。
軽トラック等の遮断するものがなくとも、必ず、他から見えないようなところを器用に探し、用を足すのである。
何処の畑や田んぼに行っても別に騒ぐわけでもないのだから、着いた瞬間何処がいいのか見極めておくのだろう。
これはやはりうら若き女性には大きな抵抗があるだろう。
しかし、これができなければ、野良仕事は出来ないのだ。

随分前の話になるが、私の前職は船乗りである。
マリアナ諸島のずっと南、何と言う名前かは忘れたが、そこに行った時には面白かった。
ほんの全周4Km程の小さな島である。
海は何処までもコバルトブルーで砂浜は本当に真っ白だ。
ここの人たちはみんな海で用を足すのだ。
大きいほうも小さいほうも両方ともである。
首だけ出して開放感にひたっているように見える時は、そう思ってほとんど間違いない。
我々も同様にして用を足したのはもちろんである。

「Nature calls」。
郷にいれば郷に従えである。
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○父母との同居(介護)
これは、書こうか書くまいか随分迷った話題である。

こちらに来て3年目、突然、実父・実母が同時に動けなくなった。
父はその前年、肺がんにより右の片肺の全摘手術を行った。
その後、日常の生活は何とかこなしていたのだが、躓いて転んだ事により、右大腿骨頚部骨折と診断された。
ある年齢以上になるとこの骨折は致命傷である。
加えて、片肺全摘の後遺症のため手術は無理である。
母に頑張ってもらうしかないと思った矢先、朝起きたら、その母が、動けなくなったと連絡が入った。
何年か前に脳梗塞を患った母である。
どうやら今回もそうらしい。
加えてパーキンソン氏病も併発しているらしい。
このときから、現在まで、左手だけが微かに動かすことができるのみになってしまった。
何という事だ。
たべることも、飲み込む事もできないのだ。
当時、姉が近くにいたため、何かと様子を見に行ってもらっていた。
ところがその姉も転勤が決まっており転勤先のニューヨークに立つ数日前の話である。

突然の話である。
我が家にも女房の男親がやはり脳梗塞のため寝付いている。
誰が面倒を見るかと言えば、私しかいない。
二親、4人のうち、3人までが動けないのである。(つづく)
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○対イタチ戦争T
今年で地鶏を飼い始めて4年目になる。
最初の動機はいたって単純、家族で美味しいタマゴが食べたい!である。
どうせ飼うのであれば放し飼いで自由に育った地鶏達が産むタマゴが食べたい。

2000年4月3日、今年も100羽の新しい雛達が入った。
孵化してから60日目の本当に小さくかわいい雛達だ。
何もなくスクスク育てば3ヶ月ほどでタマゴを産むようになる。

ところがである。

翌日,4月4日。
朝、餌をやりに行くと一羽、何物かに殺られているのだ。
鶏小屋は、使わなくなったハウスを利用して俄か大工の私がトンチンカンチン作った代物である。
あちこち隙間があるのは否めない。
ただ小屋の下回りだけは、田んぼに使う畦シート(高さ30cmほどの波トタン状のもの)をきっちり埋め込んだ。
天敵となるキツネやイタチは穴を掘って下から侵入してくるからだ。
どうやらこのシートの繋ぎ目にほんの少しの隙間があったようだ。
この日、大掛かりな土木工事をして下回りは万全のつもりで安心していた。
徒労だった。
やはり一羽犠牲にしてしまった。

4月5日、今度はと小屋回りを這いつくばるようにして隙間がないか調べて回った。
ほんの指一本入る隙間があれば丹念に補修した。
血を吸って肉にはほとんど手をつけていない手口からすると、相手はイタチのようだ。
それも一羽づつしか襲わないという事は、相手は余程小さいらしい。
まだ見ぬ相手にメラメラと闘志を燃やした。
これでどうだ、来るなら来てみろ!
万全のつもりでいた。
甘かった。
また一羽犠牲にしてしまった。

4月6日、斯くなる上はと、ねずみを捕る「トラバサミ」を4つ買ってきて通り道であろうところに仕掛けた。
ところが、掛かった獲物はねずみ一匹、この勝負またこちらの負けである。

4月7日、斯くなる上はと、鳥小屋の中に、2m四方の小さな小屋を作ることにした。
小屋が小さくなれば、隅の隅まで隙間があるかどうかチェックする事ができる。
加えてこの小さな小屋の回りにもう一度「トラバサミ」を仕掛けた。
今度こそどうだ!(つづく)
--- 小さな鳥小屋と「トラバサミ」はこちらから ---
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○対イタチ戦争U
あれからすでに10日以上が経つ。

毎日、毎日、小屋の中のもうひとつの特設の小屋に夕方餌をやるときに雛達を入れている。
特設の小屋の周りには、4つの「ネズミ捕り」を毎日仕掛けもしている。
ところが、掛かったのは、野ネズミ一匹だけだ。

先日、たまごを買いに来られたその道のプロだと自称する方が、こんな事を言っていた。
「それは、イタチではないな。ネズミの仕業だな。イタチに入られたら、一匹では済まないからな。」
と言っていた。
そういえば、殺られるときは、いつも一匹づつだった。
「ネズミを2匹捕まえた。それならもう大丈夫。ネズミは夫婦で行動するから2匹捕まえればもうでないよ。」
そう、あれから何物かが入った形跡はどこにもないのだ。
どうやら相手は、イタチではなくネズミだったらしい。

それもそうだ、実は掛かったネズミは優に雛と同じくらいの大きさだったのだから。
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○百姓の手
まだ百姓になる前、よく飲み屋に行くと、ママさんに言われたものだ。
「きれいな手ね。お仕事は何?」
その当時はもちろん、土などいじったことがないのだからあたりまえだ、と言われればそれまでだが、まわりの男の人と比べてもきれいなほうだったと思う。
これが結構飲み屋の女の子に評判だったのだ。
反面、女房の手はというとごつくて、厚くて、指が短いのである。--女房殿ごめんなさい(笑)--
そういえば、結婚式の翌日から、私の指輪はそのまま女房の指に移ってしまった。
それからずーっと、女房の左手薬指には2つの指輪が並んでいる。
当時は私の指のサイズと女房の指のサイズは一緒だったのである。

そんな私の手が最近ようやく百姓の手らしくなってきた。
女房などは、ごつく節くれだった私の手を見て「だんだん素敵になってきたわね。」と言うのである。
確かに百姓の手は華奢ではつとまらない、ところがその華奢な手も年数をふるに従ってそれらしくなってくるのである。

そういえば最近、飲み屋には随分ご無沙汰である。
今度行く機会があったらどちらがいいか良く聞いてみよう。
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○落雷
皆さん、年寄りのいう事は良く聞きましょう!

2000年5月8日午後8時25分。
「ピカッ。」と光ったと同時に明かりが消え、コンセントというコンセントから火花が散った。
間髪を入れずに「ドドン。」とまるで地響きのようだ。どうやらほんのすぐそばに落ちたらしい。
夕飯も終え、家族みんなで掘り炬燵に座っていたところだ。
昼過ぎから、断続的に雨が降り雷がなり続けていた。
今日の雷はやけに近いなとは感じていたのだが、まさかこんな結果になろうとは露ほども頭になかった。
夕飯の時も、遠くで雷の落ちた音と何度か停電にはなったが、ほんの一分もしないうちにすぐに点いていたのである。
私も正直、コンセントから火花が散ったのを見たのは今回が初めてだ。
電気の掘り炬燵に入っていたため、ピリピリと感じたのも初めての経験だ。

頑固ばあさんが言う、「これは、みんなやられたな。電気製品はみんなダメだ。電気も明日まで点かないだろう。」

どのくらいの間、真っ暗の中、座っていたのかはよく覚えていない。
長女が「怖いよー。」としくしく泣きはじめたのを機に、ろうそくと懐中電灯を取りに腰をあげた。
まだ雨は激しく、雷の鳴る音も続いている。

ここで生活し始め百姓として自然に逆らえないのは、重々承知していたつもりだった。
ましてや標高の高い山の中で生活していることも・・・。

とにかく子供達を落ち着かせ寝かせなければならない。女房が懐中電灯を手に着替えさせ寝かしつけた。
その間、携帯電話を持っている隣のご主人に頼んで携帯電話の電波の入る町まで下りてもらい電力会社に連絡を取って貰った。
雨の中、工事の人が駆けつけ、電気が点くまで約3時間程かかった。

私はといえば、何もする事も出来ず、ただローソクの明かりを見つめ続けていた。
夜11時過ぎようやく復旧し電気が点いた。
ありがたい事に、パソコンも他の電気製品もどうやら無事のようだ。

ところが電話が通じないのである。
ツーともカーとも言わない。どうやら電話線を通じてカミナリが入ったようだ。

夕飯時、頑固ばあさんがしきりに言っていた。
「コンセントからコードを全部抜いてしまえ。電話もだ。」
その時、いう事を聞いていれば・・・。今になっては後の祭りである。
電話が通じたのが、翌9日の夜7時過ぎだった。電話機一台をダメにしてしまった。

大きな怪我にはならずにすんだが、年寄りのいう事は聞いておくものだ、と改めて肝に銘じた次第だ。
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○冗談から助っ人
ちょっと、キツネにつままれたような話をひとつ。

毎週日曜日、水戸から2時間ほどかけて「たまご」を買いに来られるお客様がいる。
我が家の子供達の間では「たまごのおじちゃん」で通っている。
来られれば、漬物にお茶でひと時過ごして帰られる。
昨日の日曜日は女房がお相手をしたらしい。
ここのところの雨や、学校の用事、結婚式等でなかなか仕事がはかどらないと話をしたらしい。その時「たまごのおじちゃん」が明日は仕事が休みだから手伝いに来てやる、と言われたそうだ。
まさか私もその話を女房から聞いた時には、冗談だとばかり思っていた。

ところが今朝、時計が8時を打つと同時に「たまごのおじちゃん」が現れたのだ。
正直、私も女房もびっくりした。
それも草刈り用の下刈り機と燃料まで持参して。前から仕事は測量士だとは聞いてはいたが、草刈りはお手のもの、どこを刈ればいいのかなと仰るではないか!
雑草の伸びる勢いは半端ではない。
とりあえず、ハウスの周りの草刈りをお願いしたが、女房の顔を見てもキツネにつままれたような顔をしている。
お昼にテーブルに着いた時、「どうして?」と聞いても「いいんだ!今日は暇だから。」と仰るばかり・・・。
とうとう一日草刈りをしてもらった。
暗くなり始めて、お風呂に夕飯でもと思っていたら、「また手伝いに来るからな。」と言って車に飛び乗り帰ってしまわれた。

草刈りをしていただいたハウスの周りはとてもきれいで、刈った草の匂いがほのかに風にのってとてもいい匂いだ。

「ありがとうございます。」とその場で頭を下げた。
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○造り酒屋
1996年12月。
こちらに来て年が明ければ丸2年が過ぎる。
今日から町に一軒だけ残された造り酒屋に蔵人として働きに行く。
どちらかと言うと飲むのは嫌いではない。
人生のうちで一度は体験したかった酒造りの生の現場だ。
名の通った大きな酒造メーカーと違い、厳冬期だけに仕込みを行う。暖かくなる春3月までの仕事だ。
主に夏場を稼ぎのシーズンとする百姓にとってちょうど時期的にはありがたい。

建物もいかにも古い。
明治の初期に建造された建物はまさに取り残された遺物だ。
杜氏は南部杜氏、岩手からきた70代のおじいさんだ。
こちらも残された遺物に違いない。(杜氏さん、ごめんなさい(笑))

右も左も分からない蔵人としての主な仕事は、力仕事である。
とにかくびっくりしたのは、一本のタンクに使う仕込み米、1.5トンは米倉から洗い場まですべて一輪車で運び入れる。取り残された小さな蔵といっても1シーズンに10本以上のタンクを仕込む。
運び入れた米は全て手作業で洗米機に投入しなければならない。
大きな甑(こしき)で蒸し上げた米も全てスコップで掘りあげなければならないのである。
ようするに一時代前の造りそのものがここには残っているのだ。
だいぶ機械化が進んだ百姓仕事もここまではきつくない。
加えて造りが始まると、暮も正月もなくもちろん日曜だからといって休みなどないのである。
自分で選んだ百姓の仕事と同じで今さらケツを割ることは出来ない。
体の節々が痛いのを我慢しながらの作業が続く。

自分が手を加えた初めての、純米酒が出来上がった。
ここでは、純米酒も普通酒も全ての酒を舟でしぼる。
出来上がったモロミを袋に詰め、その袋を舟に並べてその上から圧をかけるのである。
出てきた酒、これが本当の「ふなくち」だ。
少し白濁したこの原酒の旨さといったら、今まで飲んだ酒が子供だましのように思える。
この瞬間のためだけに、今まで汗をかいていた気がする。

酒造りも百姓仕事も相手は生きものである。
これが上手にできた時の喜びは何にも替えがたいものがあるのである。
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○父母との同居U(介護)
姉がニューヨークへ立つ前にと何とか骨をおったが、母は安静状態が続いており、とりあえず父だけを受け入れる事になった。
足が思うように動かないため、下の世話からお風呂、食事の用意とやる事はたくさんある。

父が寝ている部屋と通常私達が生活している部屋をホームテレホンで繋いだ。
70才を過ぎての転居である。
それまでの70年間住み慣れた家を出た事のない人だ。
私という自分の子供がいるとはいえ、ここは女房の実家である。
心細さはひとしおだったと思う。
最初は遠慮がちに呼び出していたのだが、機嫌の悪い時などは呼び出されて
「なぁーに。」と様子を見に行くと
「何でもない。」の繰り返しを何度もすることがあった。

夜は私が父の傍で布団を敷いて寝た。
父の世話は主に女房が主体となってやってもらっていたが、百姓仕事は女房もとても大事な戦力である。
このため私か女房どちらか手の空いているほうが世話をするようになった。
正直自分の親の下の世話をするようになるとは思わなかったが「慣れるより慣れろ。」である。
一日寝たきりでテレビ位しか楽しみがないだろうという事で、風呂には毎日入れてあげた。
部屋から風呂場まで私が背負って運び、女房と二人がかりで洗い、拭いて、着替えさせた。
湯船に浸かっている時にはとても穏やかな顔をする。
一日寝たきりではと、何か用事がある時や、買い物に行くときなどは、車の助手席に乗せ連れて歩いた。

田植えも稲刈りも車の中で見ていた。
トマトの選別は車椅子に乗って見ていた。
山きのこを採って持っていくと「そのきのこ食べられるのか?」と聞いてきた。

秋深くなり、急激に寒さが身に凍み始めたころ容態が悪くなった。
ガンの再発・転移である。
病院と家との往復が続き、いつしか病院にいることのほうが多くなった。


正月の声を聞くことなく逝った。


自分が喪主となって送ったのは初めてである。
慌しく葬儀が終わった。
葬儀が終わって女房がポツリといった。
「おじいちゃんも大変だっただろうけど、看てあげる事ができて良かった。」


母は父がこちらに来て間もなく来る事ができた。
今は、老人保健施設にいる。
微かに動くのは左手だけという状態は変わらない。

義父の容態もほとんど変わらずの状態だ。(つづく)
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○生きるか、死ぬか
ちょっと、付けた題名が大げさかも知れない。
「台風」について今回は書いてみたい。

2000年7月7日。
七夕だというのにとんでもないものと遭遇しそうである。
毎時のニュース・天気予報を聞いても、どうやら今回は直撃のようだ。
現在16棟の簡易パイプハウスに約6000本のトマトが植えてある。
時期的にハウスの妻面からサイドは全て開け放たれている。
ちょうどパイプの柱にビニールの屋根だけが載っていると想像していただきたい。
このままで、直撃を食らえば、全滅である。
少し雲行きがどんよりしてきた7日午後から閉める作業に取り掛かった。
日中、日のあるうちに閉めるわけには行かない。
日のあるうちに閉めてしまえば、ハウスの中は40度を優に超えてしまうからだ。
妻面を閉める作業に思ったより手間取った。
夕方5時を回る頃からポツポツと雨も降り始めた。
まだ、5棟ほどしか妻面・サイドが閉め終っていない。
何時までかかっても閉めないわけにはいかない。
もし暴風が吹き荒れれば閉めたからといって、ハウス事持っていかれる可能性もある。
こればかりは神のみぞ知る、である。
女房と二人、16棟のハウスの妻面・サイドを閉め終わったのはちょうど夜中の12時を回った頃だった。
テレビやラジオでは刻々と台風の現在位置を告げている。こ
のあたりが暴風域に入るのはどうやら早朝のようだ。
ほんの少しだがうとうとする事ができた。
早朝5時前、閉めたハウスの様子を見に、外に出た。
雨脚は強いがまだそれほどの風は吹いてはいない。
このまま風が吹き荒れることなく行き過ぎて欲しい。
祈るばかりである。

もう4年程前になる。
女房と二人、一所懸命建てた前山のハウスがその年に来た台風にズタズタにされた。
ビニールは大きく破れ散り、収穫の始まったトマトは風に揉まれて売り物にならなかった。
この時の後片付けほど辛いものはなかった。
肩を震わせ涙の止まらない女房に、ただ「泣くな!泣くな!」と怒鳴り散らすしか能のない自分がむしょうに腹立たしかった。

10時を過ぎた頃から風が収まり始め、雨も時折強く降る程度で、空が徐々に明るくなってきた。
ありがたい、どうやらほとんど被害もなく通り過ぎてくれたようだ。
台風の通過後は急激に天気が回復するのが常である。
夜中まで掛かって閉めた妻面とサイドを早急に開けていかなければならない。
無駄な仕事に終わって良かった。
これで首の皮が繋がった。
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○脱走けい?
脱走兵ならぬ脱走鶏が2羽いる。

この2羽がトマトハウスに居座っている。
まだ2段目の低い段の収穫のため、この2羽が食べ頃のトマトをつつき回すのである。
鶏たちは、高さ約2mほどのネットで囲まれた中で放し飼いにしているのだが、いとも簡単にこのネットを飛び越してしまうのである。
ネットのまわりでうろついていれば何も問題はないのだが、はるばる下のハウスに下りてきて、トマトの味を覚えてしまったのである。

何とかしなければならない。
日中、陽のあるうちに何度か捕まえようと追い回したが、私に捕まるほど鶏も鈍ではない。
息を切らしてハアハア言うのはもう疲れた。

そこで一考した。
昔から「鳥目」と言われる。
夕方近くなると、鶏たちは今日のねぐらをなるべく高い止まり木を探してそこで休む。
この頃になると、本当に周りが見えないらしい。
ハウス内に張った番線に止まっている鶏の背後から、息を殺して、気配を消して、そーっと近づいた。
猫のように、キツネのように、手が届く所まで近づいた。
私は猫でもキツネでもない。
ケケーッとかん高い鳴き声を残して見事に逃げられた。
庭鶏?といっても相手は本能で生きている。
甘かった。
明日はまた、熟れたトマトをつつかれる。

今度は女房とふたり掛かりだ。
午後7時前、番線に止まった鶏の注意を引く役は女房だ。
鶏の視界(多分、もう見えないのだから、これはおかしいかな?)の中で女房も本気で捕まえようとする。
その姿を片目に私も昨日同様、猫のようにキツネのように背後から近づいた。
キキー、ケケー、ほんの羽の何本かを捕まえただけだが、もう逃げられまい。
鳴き叫ぶ鶏の足をしかと持ち直した。
安堵感よりも先に今ならこいつの首を落として、食べらるな、と考える自分がいる。

本当に食べてしまおうかな?
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